早稲田オープン塾のスッポン根性伝説by亀山

早稲田オープン塾の亀山です。

深谷訪訪その⑰〜深谷上敷免間鉄道廃線跡〜

深谷市は明治期に窯業が盛んで、日本煉瓦製造という会社が設立されました。
工場の操業当初の煉瓦の輸送手段は利根川を利用した舟運が一般的だったそうです。しかしこの方法では輸送力に欠け、安定した輸送が出来なかったようです。
これを解決するために1895(明治28)年に深谷駅とを結ぶ専用線が建設されました。これが「深谷上敷免間鉄道」です。この専用線は日本初の民間専用線で、考案者はあの渋沢栄一氏です。

ちなみに高崎線は日本で敷かれた鉄道の中では古いほうです。

しかし昭和後半からはトラック輸送がメインとなり、1975年3月に専用線は廃止となってしまいました。

この引込み線、新井線という通称があったようです。

現在はレールが取り払われ、「あかね通り」と名づけられた遊歩道になっています。

この通りは深谷商業高校や深谷第一高校の付近を通るため、通学路として利用する生徒も多いようです。