歴史は変わる。大化の改新とは?
こんばんは。早稲田オープン塾の亀山です。
サッカーがワールドカップを出場を決めた中、早稲田オープン塾では気になりながらも勉強!!
とある中学生は歴史の用語を必死に暗記。さて、645年といえば何か?
ほとんどの人は大化の改新と答えるかもしれません。はて、これは正解でしょうか。
大化の改新とは中大兄皇子と中臣鎌足を中心に蘇我宗家を倒した事件(乙巳の変)を機に、翌年の改新の詔を発令し、行われた中央集権国家を作りのための改革。
よく蘇我氏を倒した事件(乙巳の変)を大化の改新と教えていることが多いかもしれません。
うーん、蘇我氏を倒しただけでは中央集権国家を作れるわけではないので、大化の改新とは言いすぎでしょう。
さて、では大化の改新とは、なんでしょうか。改新の詔で決められたことは豪族の私民、私有地の所有禁止。班田収受、地方行政区画の制定などあります。では、いつまで大化の改新とするのが妥当でしょうか。
今年度出版された山川出版の教科書ですと、「孝徳天皇治世の政治改革を大化の改新と呼ぶ」
とありますが、僕個人はあまり賛成できません。
なぜなら詔の後の改革は中大兄皇子が主導権を握り、国政の事実上のトップに立っています。
そうすると、大化の改新は645年or646年から天智天皇(中大兄皇子)崩御の672年とするのが妥当だと思います。
これは個人的な意見です。
大化の改新は天武天皇、持統天皇の治世までの一連の改革を入れるべきとする学説や改新の詔が後世の捏造であり、改心そのものがなかったとする学説もありますが、自分で文献を元にして、考えてみるのも面白いと思います。